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6月, 2019の投稿を表示しています

伊藤一洋 kazuhiro Ito 「ブロンズ彫刻」

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伊藤一洋 kazuhiro Ito  「Liquid golden babies」の作品の一つ  created in  2010,  bought from hpgrp GALLERY TOKYO in 2010 伊藤一洋 kazuhiro Ito 展覧会「bridge」の作品の一つ created in 2012, bought from hpgrp GALLERY TOKYO in Jan 2012 伊藤一洋 kazuhiro Ito 「天體 015」 created in 2015, bought from hpgrp GALLERY TOKYO in Jul 2015 伊藤一洋さんのブロンズ彫刻です。2年おき位に3点購入しています。 以下のリンクはブロンズの鋳造工程の説明ですが、何段階もの工程を踏み、技術と労力が必要なようです。 http://chukinka-kyokai.jp/technique/467 通常、ブロンズ彫刻家は原型を作ることに注力し、鋳造以降の工程は職人に任せる事が多いようですが、一番上の伊藤さんの作品は、より直接的に素材であるブロンズに働きかける方法で制作されています。 原型が無く、他のブロンズ作品を作る過程で産まれた塊(湯道)に直接作家が働きかけ、石彫や木彫のようにそのままブロンズを削り出す方法で制作されてるようです。 火山から産まれた溶岩の生物をそのまま持ってきたようなプリミティブな感じで、鋳造する際の溶けたブロンズが重力と温度に従って、冷えて固まったような感じがします。 地球、重力、空気、火、金属の沸点や融解、自然の力を借りた制作。悠久の時間を意識させるモチーフ。 この作品は「Liquid golden babies」というシリーズの内の一つになるのですが、このシリーズは現在、過去、未来を表現されていたようです。 素材が作家の思考に影響を与えると良く言いますが、石彫の作家が素材である石を形成してきた過去数億年の大地を意識するように、ブロンズ彫刻家は過去数千年のブロンズ彫刻の歴史、作家が生きている現在、また、素材として作品が残る可能性のある未来の数千年を意識するのではないかと思います。 現代アート・コンテンポラリーアートというと、目の前の具体的な

上野龍 Ryu Ueno 「テイ・ホウ」

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上野龍 Ryu Ueno 展覧会 「テイ・ホウ」のうちの作品の一つ created in 2009,  bought from  Roonee 247 Photography in Nov 2009 3点目に購入した作品です。 オリンパス6という1950年前後に発売された蛇腹カメラで、多重露光の方法で撮られています。正方形のフィルムは珍しいですね。 上下の2枚の写真ですが、下は普通の田舎道の電柱の写真で、上の写真は下と同じ像の写真を別の場所で感光させて、違う像(牧場と柵の様なもの)が写り込み、一部が消えています。 多重露光の作品は他にも良く見るのですが、この作品の像の混ざり方は特に私好みでした。 展覧会の題名であるテイ・ホウという言葉は、新聞に掲載されている報道写真からタイトルや文章を切り取った後の状態を示しているそうです。 タイトルや文章無しに、報道写真だけ提示されたら見る人はどのような反応をするのでしょうか? 何を表現したいのか分からず、ポカンと宙に浮いたようになり、全く違う捉え方をされることもあるのかもしれません。 また、テーマやコンセプトが重要視される現代アートの中で、敢えてそれを捨て去ろうとするテーマの作品と捉えるのも面白いかもしれません。 全く別の観点ですが、私は、この作品を見ると、頭の中の記憶が消されていく過程の印象を受けて、少し気持ち良さを感じます。 昔見た風景の記憶が消えて行く姿はどんなでしょうか? 音はしなさそうですね。どんなスピードで、どの部分から消えていくのでしょうか。 この作品のように他の風景と混ざりあって消えていくのでしょうか。 意識できないから忘れて行くのであって、きっと、誰にも分からないですよね。 でも、確かに頭の中では像が消えていくのだと思います。 そんな、誰にも認識できない記憶の風景が消える様子を、この作品を見てイメージしてしまいます。 作家の上野龍さんは、1963年愛知県生まれ。元は即興演奏をやっていた方だそうです。 ギャラリーのルーニーさんは、新宿の四谷三丁目から馬喰町に移転されて、現在も営業されています。 https://www.roonee.jp/

三田健志 Takeshi Mita 「忘れていい景色」

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三田健志 Takeshi Mita 「忘れていい景色」 created in 2009, b ought from  Art data bank in Sep 2009 https://mita-takeshi.tumblr.com/ 今、2019年なので、丁度10年前、私が現代アートを見初めて、2009年に初めて購入した作品です。 ぱっと見、分かりにくい作品です。 三田さんは左脳と右脳をバランス良く働かせて作品を作ってらっしゃると思いますが、 作家が寄稿した花摘みの証拠という文章の最後に  「大切なのは感覚を微細にすること、そしてそれを微細なままに記憶すること。大雑把な名前を与えてその内実を忘れてはならない。脆い美しさをしらけずに見つめるには思いのほか心の強さを必要とする」 という、文章があります。利益や営業成績等の分かりやすい結果を出すことを急ぎ、些細なことは気にもしないビジネスマンの心境からすると対局の言葉に感じます。痛いですね。 この作品は廃園になった植物園のミラー越しに、不鮮明に映る像を写真に撮ったもののようですが、この展覧会における三田さんの感性を良く表していたと思います。 作品タイトルに、「忘れていい景色」と言われると、逆に、忘れていいものはあるのか? と意識してしまいます。 以前、美術関係者から教えてもらったのですが、風景・景色を意味する「Landscape」という言葉は、 もとは風景「画」を意味していて、画家がある視点を選んで空間を解釈しているという意味だそうです。語源は オランダ語の風景画を描かせる際に契約書の用語として使用されたlantschappen から派生。(Wikipedia参照) ただ、そこに存在するものを、選んで切り取る意図と行為によって、絵画(この場合は写真ですが)の価値を産み出していくことにどこまで意識的に作品を作っているのか? この「忘れていい」という言葉は逆説的に問いかけている気がします。 アートに、作家に、無価値のものを価値のある作品にする力があるとしたら、モチーフは元々の無価値の物の方が凄いことなのではと思います。 デュシャンの便器、ウォーホルのキャンベルスープ缶は言い過ぎでしょうか? 写真の用途は様々だと思いますが、ボヤケて焦点の定まらないピンぼけ写真は捨てられる写真の代名