久保田智広 Tomohiro Kubota「一時的未題 / temporary unnamed」

久保田智広 Tomohiro Kubota「一時的未題 / temporary unnamed」 created in 2022, bought from EUKARYOTE in April 2022


https://tomohirokubota.myportfolio.com/


作品の形態が契約書のような形なので画像は無いのですが、久保田さんが2022年の4/15~5/1の期間にEUKARYOTEで展示・実行された「eat ro ekyu」という展覧会の内容と類似する行為を、どこか別の場所と時間で再演してもらう権利を購入しました。

作家さんが作品中に直接登場はしないですが、パフォーマンスアートの形態に近いのかもしれません。

キュレーターは岩田智哉さんという方で、彼が記載した展覧会のstatementが端的に久保田さんのここ数年の作品と本展覧会の概要を示しているので記載します。


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https://eukaryote.jp/exhibition/tomohiro_kubota_solo_ex/

本展「eat ro ekyu」は、若手現代アーティストの久保田智広にとって初の個展となります。

久保田はインスタレーションやパフォーマンスなど複数のメディアを横断しながら、物事の価値基準や選別基準をテーマに制作を行っています。近年の制作では個人的な状況や実際にあった出来事をベースに、共同体によるモノの所有や、個人から人類全体にまでおよぶ広範な負債に対しての向き合い方について探る作品を展開してきました。

こうした久保田の実践の背景には、作品制作を通して自らをとりまく環境の改善を目指す「対症療法的」な態度が通底しています。それは新たにモノを生み出し続けることに対して作家が感じる限界や、私たちを取り巻く社会的なシステムに対する疑問への彼自身による一つの応答であると同時に、既存のモノの価値の読み替えや、そこからオルタナティヴな価値を生み出していく行為であるとも言えます。

本展はそのような作家の制作の延長となる実践を展開します。久保田はギャラリー空間に普段置かれているモノ—作品や備品、什器など—を会場の外部へと運び出し、その構成を一変させます。それは通常のギャラリーの機能を阻害する行為であると同時に、その空間としての機能の抽象化でもあります。そうすることで久保田は、普段前景化されることのないギャラリーという場の物理的/システム的な裏側を可視化し、空間の最適な環境について再考するために一時的な実験の場を作り出すことを試みます。またそうした実践は、かつてホワイトキューブの空間をはじめ、美術の世界を規定する社会経済的な枠組みへと批判の意識を向けた制度批判のアーティストの手つきを思わせます。

このように本展はEUKARYOTEという会場を一つのケーススタディとして、ギャラリーという空間の別のあり方、ひいては一つの有機的なシステムを新たに創出することを目指します。こうした作家による現代美術の可能性をめぐる実験的な試みをぜひご高覧下さい。

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昔、会社の上司が、「Growthはすべてを肯定する」と言っていたのを思い出すのですが、拡大と成長を求めるプロセスに乗っかることで、新規の雇用やプロジェクトや設備投資が肯定されるという意味だと思います。売り上げが伸びるなら費用をかけてもいいよねという発想で。

逆に縮小均衡のプロセスでは人件費のカットや費用の削減をするわけで、リストラもされたり、社内はギスギスしますね。

日本の人口減少はあまり考えたくない問題ですが、米国の様に作品の売却が認められていない日本の地方の美術館において収蔵作品の維持は頭の痛い問題のようで、作品を収集するのはいいのですが、収蔵庫がいっぱいだったり、経年劣化で修復費用がかさんだり、メディアアート等は電気部品関係の修理ができなかったりするようです。

人口が増えるかインフレが発生すれば、基本的には公共財を維持する一人当たりのコストが将来に渡って減り続けるので、美術品の購入も肯定されると思いますが、今の日本の現状どうでしょうか。

久保田さんの作品は藝大の卒展で初めて拝見して、その時は東京大学学生食堂にあった宇佐美圭司氏による《きずな》が誤って廃棄されてしまった事を題材に作品を制作されていました。

美術作品は文化資産と言われていますが、将来にわたって維持が必要な負債の面もあるわけで、道路や橋や上下水道や図書館のような公共財も将来にわたって維持が必要という意味では近い性質を持つのですが、美術品は効果がわかりにくく、人に寄って美術品に対する価値が全く異なるという面が問題を複雑にしており、公共財としての美術作品を維持するのか廃棄するのかの判断は誰がどうやってするのか議論が必要とされる気がします。

現在、美術作品は制作された当時の状態で維持されることが望ましいと一般的にはされていますが、杉本博司の江之浦測候所は朽ちて変化していく事を前提に作られたと聞いたことがありますし、西洋的な永続性の概念で美術作品を管理する事がどこまで有効か少し疑問に思う所もあります。作品の現状維持をあきらめれば少し問題は楽になるでしょうし、、、

久保田さんの作品を数年間拝見して、選択と廃棄と問題、外界の環境変化による素材の変化を前提とする絵画、今回の展覧会では新規で作品を作るというよりは既存のギャラリーを組み換えるアプローチと、コンセプトが頑健で、作品の細部にも意識が行き届いており、まだお若いのにしっかりされていると感心しかありません。

特に今回は作品の売買を目的とするコマーシャル(企画)ギャラリーで、こういった売買がされにくいパフォーマンス的な作品を展示するという事で、EUKARYOTEのギャラリーの方も懐が深いなと感心しました。

今回の展示のような社会問題が通底としてありつつ、ギャラリーの裏側を見せながら機能を組み替えるアプローチは、美術に詳しい専門家が見たら、どう評価するのでしょうか。個人的にはリクリット・ティラヴァーニャ(Rirkrit Tiravanija)、フェリックス・ゴンザレス=トレス(Felix Gonzalez-Torres)、イヴ・クライン(Yves Klein)等の作品との関連性や比較を意識しました。

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