刈谷昌江 Masae Kariya 「A foot dance」


刈谷昌江 Masae Kariya 「A foot dance」 created in 2012, bought from Gallery terra Tokyo in May 2012






ペインティング、インスタレーション、映像と様々なメディアで作品を制作される刈谷昌江さんの作品です。

「野蛮な宴」という企画展だったのですが、ペインティング以外にも、野獣が踊る映像等もあり、高いエネルギーと技術で展示スペースが濃い世界観で満たされており、日常から一気に別世界に連れ出してくれるような力強さを持った展示でした。

絵画作品については、リズミカルな構図や躍動感、選択された色彩による安定感や統一感がいいなと思います。

作家さんがどのような意図で作品を制作されたかですが、企画展の文章を見ると、かなり冷静に作品を制作されたようです。

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時の流れを過去から未来へではなく、過去も現在も未来も、あるいは起こるかもしれない可能性も、起こらなかったかもしれない可能性も、全部が共存するような時の時空としてとらえ直してみたときに感じる混沌は、私たちの人間観のようなものをもっと別様にしてしまう力があるような気がします。

中略

もっと、野蛮で野性的な感情的で豊潤なわたしからはみだしてしまう怪物のような混沌を愚直に表してみたいと考えています。

前に前にと、進化発展に猪突猛進するだけでなく、こと文明の発展の際には曲がったり引き返したりすることが苦手な私たちにとって、絶えず形をかえつつ、決して特定の何かにとどまろうとしない混沌との共存の仕方を探し続けることは、今私たちに必要な術のひとつなのだと私には思えてならないのです。

2012年4月21日 刈谷昌江

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文明や時空の混沌とした象徴としての野獣のようで、冊子に他のペインティングが載っていますが、確かにそのような感じでとても好きなテイストです。





文明化や都市化は人間の内面も効率的にクリーンにしてきたと思います。一方で、かつての九龍城砦、フィリピンのスラム街やタイのバンコクがいいとは言わないですが、雑多でカオスな世界への憧憬も消えることは無いと思います。

混沌や暴力は映画や格闘技の中の世界だけでいいような気もしますが、内面的なカオスや野蛮性が消えていないとすれば、それらはどこへ行けばいいのでしょうか。無くなってしまったのでしょうか?

社会的に野蛮性は戦争を想起させ、個人的にカオスは精神疾患や人格崩壊とも近しいようで、あまり人間の世界との親和性は高くない気もしますが、作品のモチーフになっている野生の動物の中にそれを見つけ出し、文化人類学の未開の民族の自然を模したダンスのようにロールプレイングするのは面白い試みだと思います。

野生の凶暴さや混沌は人間の持つものより遥に純粋で強烈なんでしょうか。

一度、彼らの感覚器官を借りて同じ感情になってみたいですね、、、。狼に育てられた人間の赤ちゃんは狼の感覚を会得しているのでしょうか。

時空や文明の歪み、狂気、あるはずのない景色。不思議な光景。

野獣というと、鴻池朋子さんを思い出しますが、内省的で不思議な空間の作り方は刈谷さん独特だなと思います。

野生動物と人間が都市化で隔てられ、国家は領土や歴史で他国と境界を引き、個人個人も独自の道を進む中で、そういった流れから逆行し、すべてが混ざり合って前後不覚の状態になる事を想像できたら、とても面白いですね。

もし、そういった状態が絵画で表現できるなら、とても素晴らしいと思いますし、もっと作品を見てみたいと思います。

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